筑紫野市、小郡市、太宰府市は福岡市、久留米市の中間に位置し、豊かな文化と自然に囲まれながらも、両大都市からの交通が至便であり郊外住宅地として最適な地域であります。
昭和45、6年当時は、新幹線の博多乗り入れ、九州縦貫道の開通など経済の発展を背景として、この地域にも住宅地としての人口増加に拍車がかかり、急増する水需要に対応するため、相次ぐ拡張事業を施行し対応していましたが、莫大な財政負担を伴う水源開発並びに用水供給事業については、それぞれの団体の財政力では到底不可能なため、昭和46年山神水道企業団を設置し、福岡県の「山口川総合開発事業」に共同参加し、事業推進の合理化を図り住民負担を幾分でも軽減出来るようにと考え水道用水供給事業の建設に着手致しました。
山神水道企業団は、人口増による飲料水対策に共通の悩みを持つ筑紫野町、小郡町、太宰府町の三町にて水道用水供給事業を目的として昭和46年4月1日に設立されました。
この事業は、その間の第1次オイルショックによる総需要抑制政策や物価高騰などのために工事が大幅に遅れ、企業団施設は9年の工期と64億円の費用をかけて、山神ダムの竣工に伴って、ようやく昭和55年3月末完成しました。
企業団は昭和55年5月から供給を開始しましたが、昭和47年に筑紫野町、小郡町がそれぞれ市制施行し、また昭和52年には小郡市が北野町、大刀洗町とともに末端給水事業を行うため三井水道企業団を設立、昭和57年には太宰府市が市制施行したので、現在は2市1企業団への送水となりました。
供給水量は、最も多いときで1日当たり23,200m3で、74,400人が使う水量に当たります。
原水は、県営山神ダムから日最大25,000m3を取水し浄水場へ自然流下で導水、沈でん及び急速ろ過した後、調整池(PCタンク Q3,200m3 Q1,500m3)(ステンレスタンク Q3,200m3)に貯留して小郡市、太宰府市にそれぞれ設置された配水池に送水するとともに、筑紫野市の配水管に直接分水するもので、末端給水は受水した構成団体で行うものであります。 昭和58年11月、関係団体である筑紫野市、太宰府市向けの福岡地区水道企業団からの送水が開始されましたが、筑紫野市に於いて受水設備の整備が遅れた為、この対策の切り札として、山神水道企業団から太宰府市向けに日量3,500m3を筑紫野市に、また福岡地区水道企業団から筑紫野市向けに日量3,500m3を太宰府市に送水する振替送水を開始しました。
振替送水は平成10年6月まで及ぶこととなり、筑紫野市の配水池完成と伴に振替解消となりました。
企業団設立後も、筑紫野・小郡ニュータウンの建設がなされ、更に人口増加が予測され、水源開発が急務であることから、福岡県の小規模生活防災ダム事業に期待をよせましたが、地質調査によりダム建設が不可能となりました。その後、山神ダム再開発構想が浮上し、平成6年には建設省の補助事業として事業採択され、さらなる期待をしましたが開発コストが莫大になることから断念せざるを得ない結果となりました。
念願の水源開発は着手できませんでしたが、福岡地区水道企業団の海水淡水化事業に関係団体である筑紫野市、太宰府市が参加したため水道用水の安定供給につながる結果となりました。
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